病んでいる私
2005年5月9日今日はMさんが休みの4人勤務。久しぶりに年賀状の人が来た。「久しぶりですね」「風邪ひいてさぁ」なんて話しをしてたら、年賀状の人のお友達カップルが来た。親しげに話す年賀状の人と私を見て、お友達カップルの彼氏の方が「えっ?何?知り合いなの?」と聞いた。
すると年賀状の人は、お友達カップルに私を「同じ函館出身の友達。ココで友達になったの」と紹介してくれた。
友達だったんだ。私達。
何だか嬉し恥ずかしな気分になった。私は年賀状の人の名前も知らないのにね。お友達カップルは年賀状の人の事を「たまちゃん」と呼んでたから、そんな名前なんだろう。
今日もテンションが上がったのは、この時だけ。こんな事なら、オーナーシェフ様や、悠君や、年賀状の人には毎日来て貰わなければならない。
出勤前に、ぶっさんに「6月いっぱいで辞めようかと思ってます。トシのせいか心身ともにキツくて、何だか珍しく凹んでしまう今日この頃です」とメールしたら、ぶっさんから「昼仕事はラクですよ。今、考えると深夜のそこほど過酷な仕事は無いなぁって思います。イライラする事も減ったし。今以上に心が病んでしまう前に転職をすすめます」との返事。
さすが、ぶっさん!そうなのよ、私は心が病んでしまいそうなのよ。どうして分かったんだろう?ぶっさんも今の私みたいに病んでしまいそうで辞めたの?皆まで言わなくても分かるなんて、ぶっさんにメールして良かったと感激した。
感激のあまり有頂天で、ある同僚にその事を話したら「病んでなければ、あんなサイト(この日記の事)は作れない」と言われて、私は地に落ちた。
「私って病んでるんだ」「私って病んでたんだ」そう思ったら、返す言葉もなかった。たった一言で、こんなにも傷つくなんて、やっぱり病んでるんだろうな。
やっぱり辞め時だ。ココを辞めて、心が病んでるのを治してから、どこかのラブホで働こう。そう決心した。
他人に「病んでる」なんて言われるとは思ってもみなかったし、世の中には病んでいる人はいっぱいいるけど、自分は違うと思ってた。
そっか。ヒトサマの些細な親切は物凄く嬉しいのに、最近のココの仕事の事やEの事となると些細な事でも物凄く腹が立つのは病んでいるからなんだ。
今日、ある同僚に「テンション低いよ。Eさんに聞いたら”お腹抑えてたから、お腹痛いんじゃないの?”って言ってたけど、体調悪いの?」と聞かれた事にも、「あたしの事をEなんかに聞くなよ。Eとあたしの話なんかしないでくれよ」と思って無性に腹が立った。言わなかったけどさ。
このトシになるまで、心無い人達にキツい事を言われた事も多々あるさ。「この馬鹿女!」と怒鳴られたことも有ったし、「ブスのくせに」とか「ぶりっこ」とか「何もできないお嬢様社員」とか「函館の社員ってその程度?」とか公私共に様々なことを言われても、天性の脳天気が邪魔して、それほど凹まないできたさ。
だけど「病んでる」という言葉は、過去のどんな言葉よりも私を傷付けた。自分では「心が病んでしまいそう」と思ってたってのに、もう病んでたって・・・。本当にもう、やってられないや。
帰宅後、2人の同僚からメールがきて、メールのやり取りをしている間に、本当に何もかもイヤになった。どうせ私は病んでるんだから仕方ない。病んでる人間が接客したり、普通の同僚と普通なフリして働いてちゃダメでしょ。病んでるんだもの。
それに私は、好きでもない同僚に囲まれて毎日執拗なイヤミを言われながら、好きでもない仕事をいつまでも続けていられるほど、我慢強い人間ではないし、こうも何もかもがイヤになると気合いや根性だけで乗り切れるものではない。
何と言われようと何も心に響かないさ。私は病んでいるんだもの。ココを辞めて少し休んでから、どこかのラブホで働こう。もうトシだし好きな仕事をしたい。
すると年賀状の人は、お友達カップルに私を「同じ函館出身の友達。ココで友達になったの」と紹介してくれた。
友達だったんだ。私達。
何だか嬉し恥ずかしな気分になった。私は年賀状の人の名前も知らないのにね。お友達カップルは年賀状の人の事を「たまちゃん」と呼んでたから、そんな名前なんだろう。
今日もテンションが上がったのは、この時だけ。こんな事なら、オーナーシェフ様や、悠君や、年賀状の人には毎日来て貰わなければならない。
出勤前に、ぶっさんに「6月いっぱいで辞めようかと思ってます。トシのせいか心身ともにキツくて、何だか珍しく凹んでしまう今日この頃です」とメールしたら、ぶっさんから「昼仕事はラクですよ。今、考えると深夜のそこほど過酷な仕事は無いなぁって思います。イライラする事も減ったし。今以上に心が病んでしまう前に転職をすすめます」との返事。
さすが、ぶっさん!そうなのよ、私は心が病んでしまいそうなのよ。どうして分かったんだろう?ぶっさんも今の私みたいに病んでしまいそうで辞めたの?皆まで言わなくても分かるなんて、ぶっさんにメールして良かったと感激した。
感激のあまり有頂天で、ある同僚にその事を話したら「病んでなければ、あんなサイト(この日記の事)は作れない」と言われて、私は地に落ちた。
「私って病んでるんだ」「私って病んでたんだ」そう思ったら、返す言葉もなかった。たった一言で、こんなにも傷つくなんて、やっぱり病んでるんだろうな。
やっぱり辞め時だ。ココを辞めて、心が病んでるのを治してから、どこかのラブホで働こう。そう決心した。
他人に「病んでる」なんて言われるとは思ってもみなかったし、世の中には病んでいる人はいっぱいいるけど、自分は違うと思ってた。
そっか。ヒトサマの些細な親切は物凄く嬉しいのに、最近のココの仕事の事やEの事となると些細な事でも物凄く腹が立つのは病んでいるからなんだ。
今日、ある同僚に「テンション低いよ。Eさんに聞いたら”お腹抑えてたから、お腹痛いんじゃないの?”って言ってたけど、体調悪いの?」と聞かれた事にも、「あたしの事をEなんかに聞くなよ。Eとあたしの話なんかしないでくれよ」と思って無性に腹が立った。言わなかったけどさ。
このトシになるまで、心無い人達にキツい事を言われた事も多々あるさ。「この馬鹿女!」と怒鳴られたことも有ったし、「ブスのくせに」とか「ぶりっこ」とか「何もできないお嬢様社員」とか「函館の社員ってその程度?」とか公私共に様々なことを言われても、天性の脳天気が邪魔して、それほど凹まないできたさ。
だけど「病んでる」という言葉は、過去のどんな言葉よりも私を傷付けた。自分では「心が病んでしまいそう」と思ってたってのに、もう病んでたって・・・。本当にもう、やってられないや。
帰宅後、2人の同僚からメールがきて、メールのやり取りをしている間に、本当に何もかもイヤになった。どうせ私は病んでるんだから仕方ない。病んでる人間が接客したり、普通の同僚と普通なフリして働いてちゃダメでしょ。病んでるんだもの。
それに私は、好きでもない同僚に囲まれて毎日執拗なイヤミを言われながら、好きでもない仕事をいつまでも続けていられるほど、我慢強い人間ではないし、こうも何もかもがイヤになると気合いや根性だけで乗り切れるものではない。
何と言われようと何も心に響かないさ。私は病んでいるんだもの。ココを辞めて少し休んでから、どこかのラブホで働こう。もうトシだし好きな仕事をしたい。
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