約束破るけどお互い様でしょう(3)
2005年5月13日私も本当にこれで最後にしたいです。
約束破るけどお互い様でしょう(1)と(2)を見た彼からのメール
「だからもう言わないし、話しかけもしないのでご安心下さい。もうメールも二度と入れませんから」
「これが最後です。自分に都合のいいこと、相手に都合の悪いことばかりネチネチ書いてる人が、人のこと言えるんですか?入社当時はぶっさん、次は○っちゃん、次はEさん?悪口しかネタないの?そういう場に捌け口を求めるあなたは依存症とは言わないの?まぁ事務の人に教わった展開になって良かったですね。もうメール入れませんので」
あの。「だからもう言わない」って何でしょう?「もう言わない」を何度目にし何度耳にした事でしょう。その言葉を信じても信じても見事に裏切られ続けてきた私に「だから」って何でしょう。揚げ足を取るようなつまらない事はしたくありませんが、これではあんまりです。
確かに私も日記依存かも知れません。そうであれば依存なのはお互い様であり、第三者から見たら”どっちもどっち”な事とはよく分かっております。「相手に都合の悪いことばかりネチネチ書いて」と言われても事実なのだから仕方有りません。都合が悪いのも事実だからじゃないんですか?
それにこれは私のネタ帳ではありません。日記です。自分の為に、その日の出来事、自分の気持ちの移り変わり、状況の変化を記しておきたいと思って始めたものです。何度も言いますが、私にとって働くということは生きるということであり、仕事を通しての出会いや出来事を楽しみながら成長していきたいと願っています。
成長過程にある身ゆえに、愚痴ばかりだったり悪口ばかりだったりしますが、生きることも働くことも綺麗事ばかりじゃないし、好ましくない状況を打破しようと必死に頑張るのも私だし、悪口言ったり愚痴ったり凹んだりするのも私です。
これでも過去の日記を読み返して、陳腐な文章に苦笑したり、愚にも付かない事に腹を立てていた事に自分で驚いたり、あの時あぁすれば良かったこうすれば良かったと後悔したり、当時とは別の視点で反省したりしています。
当事者としてこの日記に登場し非難の矢面に立たされている状況を見てしまっては、反論も苦情も有るでしょう。幸いな事に彼の方から詫びてくれたので、私も素直に詫びました。何故それで終わらないのでしょう。私は「日記に彼を悪く書かない」、彼は「もう嫌味を言わない」と約束したのに、彼は約束を守ることはなく、以前から気になっていた彼の粘着質な面が再び気になりだし、私は耐えられなくなりました。
「イヤミでイヤミで、しくこくてしつこくて、うるさくてうるさくて」これが本音で、耐えられるものではありませんでした。助けて貰った事や一緒に居て楽しかった事さえも忘れてしまう程です。
「イヤだからやめてくれ」と訴えても訴えても尚繰り返されるイヤミ攻撃は、いったいどうしたらかわせるのか。利口じゃない私は悩み抜いた挙げ句、約束を破りました。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで参りましたが、もう限界です。
こんな形で決裂するのは不本意ですが、もはや彼を責めるつもりもそんな気力もなく、逆ギレも結構ですが少しでいいから私の苦しみを理解して欲しかったと思います。最後まで自分本位で申し訳ありませんが、私にとって本当に辛く苦しい日々だったことは否めませんので。
「人の事をどうこう言える自分じゃないことは重々分かっておりますし、悪口ネタばかりで見苦しかったのも、日記に依存していたこともよく分かりました。今回反省した事を今後の糧としていきますので、どうかこのまま静かにフェードアウトさせてください」と返信しようとしてやめました。4月21日のメールのやり取りのような堂々巡りや、平行線を辿ったのを思い出してしまったからです。
病んでいると言われるのであれば、私は病んでいるのでしょう。しかし病んでいる人間を相手に必死で抵抗するのも馬鹿げているのではないですか?これもお互い様でした。
疲れました。
約束破るけどお互い様でしょう(1)と(2)を見た彼からのメール
「だからもう言わないし、話しかけもしないのでご安心下さい。もうメールも二度と入れませんから」
「これが最後です。自分に都合のいいこと、相手に都合の悪いことばかりネチネチ書いてる人が、人のこと言えるんですか?入社当時はぶっさん、次は○っちゃん、次はEさん?悪口しかネタないの?そういう場に捌け口を求めるあなたは依存症とは言わないの?まぁ事務の人に教わった展開になって良かったですね。もうメール入れませんので」
あの。「だからもう言わない」って何でしょう?「もう言わない」を何度目にし何度耳にした事でしょう。その言葉を信じても信じても見事に裏切られ続けてきた私に「だから」って何でしょう。揚げ足を取るようなつまらない事はしたくありませんが、これではあんまりです。
確かに私も日記依存かも知れません。そうであれば依存なのはお互い様であり、第三者から見たら”どっちもどっち”な事とはよく分かっております。「相手に都合の悪いことばかりネチネチ書いて」と言われても事実なのだから仕方有りません。都合が悪いのも事実だからじゃないんですか?
それにこれは私のネタ帳ではありません。日記です。自分の為に、その日の出来事、自分の気持ちの移り変わり、状況の変化を記しておきたいと思って始めたものです。何度も言いますが、私にとって働くということは生きるということであり、仕事を通しての出会いや出来事を楽しみながら成長していきたいと願っています。
成長過程にある身ゆえに、愚痴ばかりだったり悪口ばかりだったりしますが、生きることも働くことも綺麗事ばかりじゃないし、好ましくない状況を打破しようと必死に頑張るのも私だし、悪口言ったり愚痴ったり凹んだりするのも私です。
これでも過去の日記を読み返して、陳腐な文章に苦笑したり、愚にも付かない事に腹を立てていた事に自分で驚いたり、あの時あぁすれば良かったこうすれば良かったと後悔したり、当時とは別の視点で反省したりしています。
当事者としてこの日記に登場し非難の矢面に立たされている状況を見てしまっては、反論も苦情も有るでしょう。幸いな事に彼の方から詫びてくれたので、私も素直に詫びました。何故それで終わらないのでしょう。私は「日記に彼を悪く書かない」、彼は「もう嫌味を言わない」と約束したのに、彼は約束を守ることはなく、以前から気になっていた彼の粘着質な面が再び気になりだし、私は耐えられなくなりました。
「イヤミでイヤミで、しくこくてしつこくて、うるさくてうるさくて」これが本音で、耐えられるものではありませんでした。助けて貰った事や一緒に居て楽しかった事さえも忘れてしまう程です。
「イヤだからやめてくれ」と訴えても訴えても尚繰り返されるイヤミ攻撃は、いったいどうしたらかわせるのか。利口じゃない私は悩み抜いた挙げ句、約束を破りました。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで参りましたが、もう限界です。
こんな形で決裂するのは不本意ですが、もはや彼を責めるつもりもそんな気力もなく、逆ギレも結構ですが少しでいいから私の苦しみを理解して欲しかったと思います。最後まで自分本位で申し訳ありませんが、私にとって本当に辛く苦しい日々だったことは否めませんので。
「人の事をどうこう言える自分じゃないことは重々分かっておりますし、悪口ネタばかりで見苦しかったのも、日記に依存していたこともよく分かりました。今回反省した事を今後の糧としていきますので、どうかこのまま静かにフェードアウトさせてください」と返信しようとしてやめました。4月21日のメールのやり取りのような堂々巡りや、平行線を辿ったのを思い出してしまったからです。
病んでいると言われるのであれば、私は病んでいるのでしょう。しかし病んでいる人間を相手に必死で抵抗するのも馬鹿げているのではないですか?これもお互い様でした。
疲れました。
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